【以下は高山市教育委員会発行の「前平山陵遺跡、赤保木遺跡発掘調査報告書」からの抜粋、要約である。なお文責は当サイト管理人にある】
赤保木遺跡は高山市赤保木町の熊野神社の背後にある。
赤保木は高山盆地内での古墳群地帯でもあり、古くから稲作が始められた地域であったと考えられる。
本遺跡は昭和29年に発見されて以来、縄文中期の住居趾や石組み炉、多くの遺物が出土している。石組みの舟型火炉は県指定となっている。
発掘調査の経緯
昭和29年、熊野神社裏(北側)の山林で土取り作業中、2基の石組み炉を発見した。そのうち東側の炉は舟の形をした珍しいものであった。平成元年になってこの赤保木史跡を中心にして生涯学習や憩いの場となるような広大な「風土記の丘」を作る計画が持ち上がり、遺跡調査を実施することになった。
およそ二ヶ月の調査によって第1号住居趾から6世紀の甑(こしき)、土師器(はじき)が出土。また、第2〜3住居趾からは貝田町式、信州系の弥生土器が出土した。